フェルディナントの日記帳

youtubeの実況者フェルディナントの個人的なブログ。自分自身にまつわるお話や動画の裏話、ボードゲームのプレイレポート等を書き連ねていきます。

ゲームプレイ録5ー3

 1941年春。

 枢軸軍はバルカン連合に対し戦線を布告。

 同時に国境に待機していた独伊軍が一斉に越境、電撃作戦を実行する。

 

 結果、一ターンにして展開していたバルカン軍七個軍団を殲滅してユーゴスラビア全土を占領することに成功した。

 もちろん外交的な根回しも忘れず、ソ連、スカンディナビア、フランス、イギリスと不可侵条約を延長。バルカン連合は完全に孤立した。

 枢軸の戦略は共産と連合の目を他の方面に向けつつ、目立たぬように勢力を拡大することにある。

 バルカンを押さえれば次はフランスを攻撃する予定。

 北欧戦線はデバステーター作戦及びソ連軍の反抗作戦であるクトゥーゾフ作戦が遅延していた。

 コミンテルン盟主シリウスはこの状況を打開すべく、スペインを動かした。

 1941年春、スペインがフランスに戦線を布告してピレネー山脈から総攻撃を開始。

 ここでヘルガンはスカンディナビアから手を引き、共産陣営と講和することを決断する。シリウス君もずっと続く北欧戦線に嫌気がさして講和を英断した。

 結局フェルディナントのバルカン欲しさのためにヘルガンが北欧の泥沼に足を突っ込み、敗北する結果になった。

 本当に美味しかったです(^q^)

 

 戦争終結時。

 カイロ講和条約の結果、連合と共産の間の戦争は全て停戦し、ノルウェーは連合として独立を保証する代わりに北欧から連合軍は最低限の防衛部隊を除いて全て撤兵することとなった。

 因みに戦争中に連合軍は間違えてドイツの領海を犯しており、賠償金をドイツに支払うことになった。

 一方でバルカン戦争は終わらない戦いになっている。

 連合が講和したのでドイツ本土が空っぽになり、枢軸も講和を決意する。

 アテネ条約の結果としてバルカン連合はギリシャだけに縮小され、イタリアがユーゴスラビア、ドイツがハンガリー、ブルガリアを得る。そしてルーマニアが独立を保証された。

 こうして一年半に渡った欧州戦争は終わりを告げることになった。

 続いてドイツ、イタリアはフランスを目標とした作戦行動へと動き始める。

 しかし1941年夏、衝撃の事件が起きることとなった。

 フランスにおいて共産党が蜂起、フランス・コミューンとなってコミンテルンに加盟した。

 一瞬にして共産が欧州の半分を押さえてしまった。軍事力でも圧倒的である。

 この事態に連合と枢軸は結束、直ちに対共産主義戦争を決断した。

 急ぎ情勢の変化に対して各国が準備を開始。

 ソ連、スカンディナビア、フランス、スペイン、バルカン連合の共産連合に対抗するドイツ、イタリア、ルーマニアの枢軸とイギリス、アメリカ、トルコ、ノルウェーの連合同盟軍。

 1941年秋、第二次欧州戦争は開始された。

 

 まずはトルコ軍がソ連南部へと進撃開始。西部戦線では英米連合軍がフランス北部に侵入する。

 これに対抗するのは仏西同盟軍およそ20個軍団。

 これだけでは連合軍不利だが、独伊枢軸軍の装甲8個師団が総攻撃に出る。

 

 一ターンにして英米独伊連合軍の攻撃でフランス軍は壊滅。ドイツ軍の装甲師団はフランス軍機甲2個師団と歩兵4個軍団を殲滅した。

 東部はまだソ連とスカンディナビアとの不可侵が生きているので動きはなし。それでもドイツ、イタリア、ルーマニア、トルコ軍が戦線を張って防御する。

 

 一ターンでフランスが死に絶えたのでドイツ軍は急ぎ装甲師団を引き抜き東部へと移動。

 ソ連軍の数は枢軸軍の倍近くあり、山脈及び川を生かした防御でソ連軍を引き付け、その間にトルコ軍が南部から突破。さらに北部でも防衛に徹してソ連とスカンディナビア共産軍の攻撃に対処する。

一連の戦略作戦をドイツでは「バルバロッサ作戦」と呼称した。連合では「オーバーロード作戦」と命名した模様。

 1941年冬ターンでのスカンディナビア及びピレネー戦線。ピレネー方面の指揮はヘルガンに一任し、イタリア機甲師団4個と小艦隊3、輸送艦隊2、それに乗った歩兵軍団2とリビア方面の歩兵軍団を預けた。僕は東部と北部の防衛戦を気合いで保持する。

 そして運命の1942年。

 イベント「ソ連大反乱」が発生。ウクライナで歩兵5個軍団分の人民が蜂起する。

 

 東部戦線でドイツ、イタリア、ルーマニア、トルコ連合軍が総攻撃に出る。

 ドイツ装甲師団の電撃的突破、さらにソ連反乱軍の援護も合わさってソ連軍の南方戦線は一ターンで崩壊する。ウクライナ首都キエフは陥落。

 ピレネー戦線は海軍の援護も受けた米英伊連合軍が仏西同盟軍に対して優勢を維持。

 さらに米本土より到着した援軍がスペイン北部に上陸する。

 コミンテルンの盟主ソ連は降伏を決断。かくして戦争は終結した。

 最後に各国首脳が集まりベルリン講話会議が開催される。

 ベルリン講和条約の内容は、


 スカンディナビア共和国の解体、再編成。親独政権を樹立。

 ソビエト領土のうちウクライナを独立させ、ウクライナ共和国として親独政権を樹立。またバクー、ロストフをトルコに割譲、白ロシアをドイツに割譲。

 スペイン共産政権の解体、イギリスへ割譲。

 フランス北部のイギリスへの割譲、南部及びアルジェリアのイタリアへの割譲。

 

 とコミンテルンの解体条約であり、共産主義の残った領土はモスクワとレニングラードのみとなった。

 一方の枢軸陣営はドイツ、イタリア本国はもとよりバルカン半島、スカンディナビア半島、フランス南部、ロシア西部、アフリカ西部まで拡張した。

 連合国も敗者とは言えイギリスとトルコは維持し、両本国とスペイン、ソ連南部、アフリカ東部を押さえることになった。

 枢軸国の勝利である。これ以降はドイツを中核とする枢軸国とアメリカの冷戦となるだろう。